本文へスキップ

静岡県すし組合 NEWHOME

プロフィールprofile

静岡県鮨組合は後継者の育成と知識と技の伝承を目指しています。

組織・役員

      
県役職名 支部名  屋号  氏名
執行部 理事長 静岡 (有)寿し幸 豊嶋 武
副理事長・支部長 三島 (株)藤すし 加藤貞美
副理事長 三島 (有)あめや鮨 長倉慶雄
  副理事長・専務理事 清水 (株)魚竹寿し 竹内勝利
  副理事長 藤枝 (有)美乃家本店 秋山幹夫
  副理事長・理事会計 焼津 (有)松乃寿司 斎田 清
  副理事長・支部長 新居 寿司松 伊藤恒男
  常務理事・理事会計 静岡 (株)入船鮨 川澄真一郎
  常務理事・支部長 静岡 末廣寿司本店 望月達矢
  常務理事 静岡 すし処尾崎 尾崎吉宜
  常務理事・支部長 小笠 清寿し 川崎浩司
  常務理事 磐田 寿司徳 玉越徳雄
  常務理事・支部長 磐田 (有)沖之寿司 甲賀進一
    
理事 理事・支部長 伊東 さがみ寿司  町田 寛
支部長 理事・支部長 沼津 (有)双葉寿司 高島栄司
  理事・支部長 吉原  柳屋 砂糖和弘
  支部長 富士宮 すし処米津 米津雅文
  理事・支部長 富士 若松寿司 鈴木正義
  理事・支部長 庵原 井筒屋 朝日 璋
  理事 清水 追分奴すし 稲葉道雄
  理事・支部長 清水 魚竹寿し 千葉由美
  理事 静岡 寿司割烹船正 村岡正美
  理事 静岡 吉野鮨高松店 西澤保雄
  理事 静岡 千代田吉野鮨 大塩一義
  理事・支部長 焼津 中港禽寿し 庵原敏雄
  理事・支部長 藤枝 魚久 鈴木久雄
  理事・支部長 吉田 金寿し相川屋 滝井幸仁
  支部長 相良 大栄館 河原崎保至
  理事・支部長 掛川 福田寿司 福田行秀
  理事・支部長 浜松 千鳥寿司 夏目雅俊
  理事 浜松 千鳥鮓 山村勝美
    
監事 監事 三島 き作寿司 村田芳彦
  監事  静岡 馬淵大阪鮨 大石知明
  監事 焼津 辰巳寿司 斎藤孝之
    
常任相談役 常任相談役 伊東 さくら寿司 鈴木一成
  常任相談役 藤枝 うなぎや 田中操
    
事務局 県事務局長 本部   田嶋清江
  県事務員 本部 望月友美子
     
平成28年7月11日現在

静岡県すし組合の沿革

歴代理事長

     
初代植田一郎 2二代目木村荘一郎 3代目大塩幸吉
     
4代目秋山 実 5代目川澄善一郎 6代目現理事長 豊嶋 武
     

静岡県鮨商生活衛生同業組合の歩み    

静岡県は、戦国時代から日本の歴史の舞台となった駿河之国であり、徳川家康の隠居所・駿府城が日本の政治の中心ともなった。
そして、食文化も江戸(東京)と同じ様に進歩・発達してきました。
駿河湾の海の幸・鮨とは切っても切れないお茶どころ・山葵の産地として、静岡県の鮨文化は古い伝統と歴史をもっている。
従って、明治・大正・昭和の初期には県下各地域に数多くの「すし屋」が営業しておりました。
昭和49年11月の静岡県鮨商新聞に掲載されている駅前松乃鮨の先代、故 植田一郎初代理事長の書き残した「鮨商組合の想い出」を記します。
『昭和13年5月だったと思う。当時両替町、今の青葉通りに数軒の魚卸店があった。 ある朝、買出しに行った時、入船鮨の先代 川澄勇吉君、富士勝の佐野甲子二君と私の3名で鮨商組合を作り、お互いの為に話合う事が必要だと、
よく立ち話をしたものだ。当時鮪すしの上へのる一切が5銭、鮪すし一個が5銭でどうして売ったらよいか等、それで川澄君から私に組合を早く設立する様に奨められ、
私が中心になって毎日午後、暇を見ては市内の寿し店を説得に廻った。
その間に駒形の港寿し先代、伊部善太郎君の共鳴を得て、今度は3人で廻り遂に賛成者38名の署名を得て同13年11月七間町松乃寿し本店で第1回創立総会を開くに至った。
茲に静岡県鮨商組合が誕生したのである。
初代組合長に入船寿し本家渡辺氏、副組合長に植田一郎で出発した。そして初めてすし協定値が出来て、1人前25銭であった。
その後、清水のみどり寿し先代、柴田氏及び浜松の千鳥寿し飼沼氏が来静され、静岡県鮨商組合を作ってはと話があり、県下各鮨店の賛成を得て、昭和16年創立総会を開くに至った。
初代組合長に七間町の松乃寿し本店、興津為吉氏、私、植田一郎が副になって茲に県鮨商協同組合が生まれたのである。
昭和15年1月15日静岡市の大火災には東京鮨商組合長、上野・松栄寿し岡田氏が焼け跡に見えられ、見舞金を頂戴し、このお金を伝馬町吉野寿し先代が中心となって配分した事もなつかしい想い出である。
その後、昭和17年頃より、物資も少なくなり、配給統制時代に入りました。
原材料は凡て組合を通して配給するようになり、事務所を八千代町・寿し鉄本店に設け、故横山・瀧沢の両氏が主になって配給実務に勤務してくれた。
然し19年ごろより愈々戦争が激しくなり、物資が極度に不足し、昭和20年8月15日の終戦によって凡ての商店は自然閉店となって終った。
終戦後昭和23年頃、東京で鮨委託加工米を客より貰って工賃を頂戴するという方法があると聞き、浜松の渡辺氏と私他数名の者が上京して代々木の美星野寿し宅へ参上し、
実演のポスターを貰い、それを元に元理事長の大塩幸吉氏と私と二人で県庁へ日参して辛うじて県の承認を得た。
そこで戦後初めて鮨店をやる見込みがつき組合員も県下に550名位になり、私が理事長として昭和26年病の為辞任する迄頑張った。
その後、清水の入船寿し・木村荘一郎氏が理事長となり戦後の発展期を迎えるようになった。戦前・戦後の大混乱期の間にはいろんな想い出が多く語り尽くせないものがある。』
昭和32年9月に環境衛生関係営業の運営の適正化に関する法律(環衛法)が制定され、その年の12月に全国で1番先に環衛組合を設立したのはもちろん東京都の組合でありました。
2番目が石川県で、全国で3番目に環衛組合を設立したのが静岡県であります(昭和33年5月2日の認可)。続いて各県がつぎつぎに認可され(現在は43都道府県が認可)、
昭和37年に全国すし商環境衛生同業組合連合会が正式に厚生省より認可される。また、この年に毎年「11月1日をすしの日」に設定し、全国一斉にすしの日行事を展開した。
昭和33年より全国大会が開催され、全国より同業者が一堂に集まって協同の目的のため一体となって、あらゆる事業に邁進しております。
     昭和37年    第1回「環境衛生同業組合連合会」(環衛大会)
      〃41年    すし研究会
      〃42年    東海ブロック会・県鮨商若手経営者会創立・組合新聞創刊号
              発行・環境衛生金融公庫法設立
      〃47年    第1回「中部ブロック会議」(愛知県)
      〃48年    第1回静岡県下統一「すし祭りキャンペーン」
      〃 〃     環境衛生営業経営特別相談員(特相員)
      〃49年    第1回静岡県「すし技術コンテスト大会」
      〃51年    第1回全国「すし技術コンテスト大会」
      〃55年    互助会制度発足
      〃56年8月  静岡県組合員数最多記録(886名)
      〃60年    すし専門調理師国家試験制度
      〃62年    すし業振興計画認定組合となる
      〃63年    全国すし共通券の発行
     平成8年9月  「すし券」インターネット・ホームページ開設
      〃10年7月  全国共通「すし券」100万枚達成!
このように、幾多波乱の過程を経て、今日の静岡県組合の基盤を作って頂いた多くの輩各位のたゆまざる苦難と努力は忘れてはならないと思います。とびとびの記録簿・日誌・手帳・記憶をたどり記載したものでありますので不備の点も多くあることと思いますが、ご容赦下さい。  以下の年報により、その発展の内容を推察して頂ければ幸いであります。
          (文責  川澄善一郎)(平成10年版組合員名簿記載の転記)